the counter pop’s blog

ロックバンド ザ・カウンター・ポップのブログです!

109. 猫まっしぐら・・・(谷底へ)




イヤー、暑いね。
ここのところ、夜になると決まって
スコールみたいのが来たり
日本の気候が例年って奴と
明らかに違ってきてる・・・


そんな折、今週は「子猫殺し」で沸いている
日本経済新聞が18日付夕刊のコラム「プロムナード」で掲載した
直木賞作家の坂東眞砂子氏のエッセー「子猫殺し」に対して、
各方面で批判・抗議が殺到しているってんだけど。





・・・写真はイメージですぅ


ここに全文掲載するよ


引用元
  http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2006/08/post_3aec.html




 「子猫殺し」  坂東眞砂子


 こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。
世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。
動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。
そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。
 家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、
生れ落ちるや、そこに放り投げるのである。
タヒチ島の私の住んでいるあたりは、人家はまばらだ。
草ぼうぼうの空地や山林が広がり、
そこでは野良猫、野良犬、野鼠などの死骸がころころしている。
子猫の死骸が増えたとて、人間の生活環境に被害は及ぼさない。
自然に還るだけだ。
 子猫殺しを犯すに至ったのは、いろいろと考えた結果だ。
 私は猫を三匹飼っている。みんな雌だ。
雄もいたが、家に居つかず、近所を徘徊して、やがていなくなった。
残る三匹は、どれも赤ん坊の頃から育ててきた。
当然、成長すると、盛りがついて、子を産む。
タヒチでは野良猫はわんさかいる。
これは犬も同様だが、血統書付きの犬猫ででもないと、
もらってくれるところなんかない。
避妊手術を、まず考えた。しかし、どうも決心がつかない。
獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、
子供を産むことではないか。
その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。
 猫は幸せさ、うちの猫には愛情をもって接している。
猫もそれに応えてくれる、という人もいるだろう。
だが私は、猫が飼い主に甘える根元には、
餌をもらえるからということがあると思う。
生きるための手段だ。もし猫が言葉を話せるならば、
避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう。
 飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれている。
しかし、それは飼い主の都合でもある。
子猫が野良猫となると、人間の生活環境を害する。
だから社会的責任として、育てられない子猫は、
最初から生まないように手術する。
私は、これに異を唱えるものではない。
 ただ、この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。
子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。
避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。
そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、
子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。
どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。
 愛玩動物として獣を飼うこと自体が、
人のわがままに根ざした行為なのだ。
獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。
生き延びるために喰うとか、
被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、
人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。
人は神ではない。他の生き物の「生」に関して、
正しいことなぞできるはずはない。
どこかで矛盾や不合理が生じてくる。
 人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。
生まれた子を殺す権利もない。
それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、
飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
 私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、
社会に対する責任として子殺しを選択した。
もちろん、それに伴う殺しの痛み、
悲しみも引き受けてのことである。(作家)









さらに、氏のコメントを拾ったので、それを載せるよ


引用元
  http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060824NTE2INK0224082006.html




 坂東眞砂子氏の話


 タヒチ島に住みはじめて8年経ちます。
この間、人も動物も含めた意味で『生』ということ、
ひいては『死』を深く考えるようになりました。
7月から開始した日本経済新聞社紙面『プロムナード』上での週1回の連載でも、
その観点からの主題が自然と出てきました。
『子猫殺し』のエッセイは、その線上にあるものです。
ことに、ここにおいては、動物にとって生きるとはなにか、
という姿勢から、私の考えを表明しました。
それは人間の生、豊穣(ほうじょう)性にも通じることであり、
生きる意味が不明になりつつある現代社会にとって、
大きな問題だと考えているからです。




      ◆  ◆  ◆




 どう?
俺はコレを読む限り
この人の言ってることがよくわかるけど・・・
 つまりは、人間が身勝手で汚れた存在だってことを
言いたいが為の自虐ネタな訳でしょ?
そんな泣いて騒いでまで講義しなくてもいいと思うけど(笑)


「酷いです!!」 多分ブス(鼻たらし)


 だいたい日経なんて左に傾いちゃった新聞を
したり顔して読んでるバカが悪いよ
考え直せ!!


 それと俺のおじさんが腹減って猫喰った時の話をひとつ・・・


・・・猫は煮ると泡が出て不味いって言われてたから
敬遠してたんだけど
実際喰ってみると案外旨かったって!!


「犬や子牛と同じだよぉ〜」(山形弁で)だって


 これが動物愛護
(どんな動物でも人間の都合良く
 平等に扱いましょう)だろ?


 それより
親父に叱られた世の息子たちの間で
家庭内放火が流行ってるけど・・・
 なんでもオリジナリティーってものが必要で
親を殺すにしても
個性的なアイデアが欲しいね・・・
と言って置きたい
(どっちにしても子育て失敗だな・・・)




 そんな中・・・
凝り性かつロハス的隠居生活を目指し
現在、印旛沼湖畔にログハウスを建設中の
ベテラン・ミュージシャン山下達郎氏が
20年来のEDを克服!!
みごと現役復帰するという
微笑ましいニュースも・・・
(まりあ待ってろっ!)




P.S
次回はメンバー夏休みで
『ROCKER'S DELIGHT』は
お休みだよ〜〜ん




                  じゃまた根




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by ROCKER’S DELIGHT 8月号
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