the counter pop’s blog

ロックバンド ザ・カウンター・ポップのブログです!

74. 「天国 退屈 欲望」 オオデマリ









 "天国とは
繰り返すということだ"


 昔読んだ本の中に
出てきた言葉だ
 天国という
特定の区域を
示すと思っていた
言葉が
主体的な動作として
定義されていたので
意外に感じたのを
覚えている


・・・繰り返す・・・


 それは二度以上
同じ行為をすること
とある


 リズムの定義に似ている・・・
二度以上 さらに一定の間隔で
同じことが起これば
それはリズミカル
という事になる


 するとその大半が
リズムで
構成されている
音楽そのものも
天国に
より近い
という事になる


 繰り返す事・・・
そんなものは
まだまだ
幾らだってある
・・・SEXもそうだ
反復行為から
極上の快感を得る
”愛の営み” 
性器同士が交わり
互いの体液で
艶やかに光り
絡み合う


 そうだ
 快感を得る
という意味で
音楽も
SEXも
似ている・・・


 しかし快感を
得なくとも
繰り返す
ということは
沢山ある
・・・例えば毎日
掃除機をかける・・・
 毎日 という意味でも・・・
”動作”そのものも
繰り返しているし
それもそうだ・・・


 では通勤はどうだ
通勤ラッシュ・・・ 
決まった店で
朝のコーヒーを飲む 
セットで360円
 二本目のタバコを
燻らす・・・ 
 出掛けるその前には
玄関で靴を履く・・・
・・・愛すべく
煩わしい瞬間・・・ 
靴紐をしめる
 そして帰宅をすれば
また靴を脱ぐ・・・


 まるで
うんざりする
日常そのものが
繰り返しじゃあないか
 そしてそれが
退屈そのもの
じゃあないか


 それじゃあ、退屈、
日常そのものが
天国だというのか?
 そこで俺は
可笑しくなって
吹き出した・・・


・・・なるほどいいね 
そうかもしれない・・・


 それは逆説的で
面白い
日常そのものを
薔薇色の天国に
変えてしまう
魔法の言葉だ・・・


 俺は思った・・・
 では 果たして人は
日常の中に
留まれるか?
 しかも日常が
退屈とイコール
だとしたら・・・?
 その退屈な
日常の中に
留まれるのか?


 もしもそこに永遠に
留まることが
出来るのなら
永遠に
天国に留まれる
ということになる


 それでは
どうだろう
退屈を回避する為に
ちょっとした
工夫をしたらば?


 例えばレストランで
いつもと少しだけ
違うものを
頼んでみたり・・・
 お店そのものだって
あちこちかえて
みたりもするだろう
・・・さらには
もっと旨いものは
ないか? とか
 もっと珍しいものは
ないかなんて・・・
 食べ物だけじゃあない
 もっといい暮らしを
する為に
 習い事をしてみたり
 教養を身に付けようと
旅に出かけたり・・・
 向上心というやつだ


人間の欲


 もっとこうしたい
 あれが欲しい
 ああ成りたい
 それらがみんな
天国の定義からは
外れてしまう
というのか?


 そして人は
その時 天国という
ループから
放り出されてしまうと
いうのか?


 それではどうする?
 退屈を受け入れて
静かに天国に
留まるのか?
 それとも日常の中で
激しく藻掻いて
そして自由を得ようと
苦しんで
自分とそれ以外の
ものの為に
汗を流す・・・?


どうする? 


俺ならどうする?




                       つづく




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ROCKER’S DELIGHT 12月号より
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